2014年01月16日

年のはじまり。

大晦日から新年にかけて、Love Spiritual Peaceで改めて奉仕に対する認識を新たにした。


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photo : motch ⇒ http://i-am.seesaa.net/


去年はまだまだ自分のことばかりだった。

今年は人類への奉仕への意識に近づいていきたい。
そして、探究という冒険をより楽しみたいと思う。

以下、ワークにあたって僕が調べた資料「至聖への道」より抜粋



11奉仕する人類

1 人類に奉仕すること、および苦悩する世界に癒やしをもたらそうとするハイラーキーのご努力に参加すること、を念願としている諸子は、もろもろの外見の背後に、かつまた、もろもろの方法や計画、物質界におけるもろもろの結果と効果との背後を、洞徹することを学ばなければならない。
 更にまた、シャンバラとハイラーキーとのフォース(力・複数)に接触し、様々の現われ方をするこれらのフォース(力)を呼び起した人類の[側の] ニーズ(必要とするもの)に接触して、それら諸現象の実相−古びて、すりきれた諸制度や、子供じみた改良ごっこではなく、今のところは萌芽の状態であるが、ついには解放と新時代の文化・文明とをもたらす諸計画−を見ることを学ばなければならない。

 もしも諸子が地球の暗部[複数]に(即ち、人々の心の中に)光をもたらそうとするのであれば、抽象的なものと具体的なものとをはっきりと見きわめ、かつ両者を関係づけ、諸子自身の生活の中に理想主義が実際に行われるようにしなければならない。そうして始めて、一国家的、一民族的、及び一人間的性質の実効ある理想主義もまた行われるのを見ることができるのである。ハートとともに頭もまた使わなければならない。このことを多くの人々はともすれば忘れがちである。

 世界の考える人々や新世界奉仕者団は、全体としての人類に、かつまた舞台裏で、おこりつつあることを認識して初めて、最善の奉仕をなしうるのである。
 大切なことは、いかなる国また国々にせよ、そこで演じられている状態に、人間の意識が反応して展開することである。「人間の心の状態」は人事な事柄にやっと今注意をし始め、生々(いきいき)と働きつつある。考える人々や奉仕者たちは表面の勤きにではなく[人々の]目覚めつつある意識にこそ注意を集中することを学ばなければならぬ。この目覚めは速やかに、かつ、わたしの同胞だちよ、申し分なく進行する。形体或いはもろもろの形体〔肉体、政体、制度など:訳注〕は苦悩しようとも、人間の自覚は、今世紀の間に、豊かなる表現をともなう聖なるものとなりつつある。
                  (『ハイラーキーの顕外化』七三−七四頁)

 2 もしも諸子自身のような熱願者を緊急な奉仕と十分な責任感とに目覚めさせるのが困難であるとするならば、もしも諸子が持っているのと同じ情報を持っている男女を犠牲的努力に目覚めさせることができないとするならば、ハイラーキーがこの時点において直面している仕事の大きさを諸子もまた幾らかは測り知ることができるであろう。

 たとえば、わたしが協力を期待している人々が己一身のことばかりにかまけて刻下急務の感覚に欠け、より大なる世界的視野を獲得する(それは完全なる協カヘと導く)よりも自分自身の家族、目分自身の問題、自分自身の発達に集中する方を選ぶとした場合の、わたしを襲う(もしもわたしが何らかの時間の観念によって制約されるとして)ほとんど挫折感ともいうべきものを諸子は理解することができよう。
 世界の崩壊を回避するのがわたしたちの努力の目的であり、この目的のためにわたしは諸子の助力を乞うているのである。(一九三九年一月)。
                  (『ハイラーキーの顕外化」七〇頁)

 3 多くの国々の多くの国民の行動の底にある基本的な理想主義から或る混乱が生じている。
それは個人の利益および人類の利益対国家全体の利益という若干新しい理想の方を重視することである。
 理想主義者の意識の中で、国家はほとんど聖なる実体となる。
それは進化の経綸の必然的な部分である。
しかしそれが問題となるかぎり、個人のみの力で解決するには余りにも大きすぎる。

 しかし、或る一つの基本的真理については諸子に断言することができる。[それは]至るところの人々が−それぞれの国の境界内で、かつその権威と文明とを維持しながらI全人類の名において考えて初めて世論はそれだけ強力となり、その及ぼす範囲は正しいものとなり、したがって国家の諸政策は国家よりも大なる理想に必然的に従わなければならなくなり、個人や多数の人類を個々の国家の犠牲にすることはもはやできなくなる、ということである。部分がより大きな全体との正しい関係において見られるようになるであろう。
 現在のあらゆる霊的努力の真のゴール(目標)は、
 この、世界の権利(複数)に対する、
 包括的な人類の権利に対する、そしてまた、
 国際協力に対する、
 世論のこの目覚めなのである。
                  (『ハイラーキーの顕外化」二一九頁)

 4 人類という大義を助け、悪の潮流をとめる為に、個人として何をなすことができるか?
もし彼が既に光の軍勢の側に立って戦っているのであれば……彼は自己の運命と奉仕とを知る。
 しかし、自分に何かできるかと問い、しかも、正しいヴィジョンが自分のものとなり、自分の役割を明確に見て取り、その役割りを果したいと切望する人たちについてはどなのか?そういう人たちにわたしは次のように言いたい。

@ 諸子の意識から偏見、国家的プライド、宗教的反感を取り除くことである……。今日、あらゆる国民の歴史は、責任を負うことを選択しない人々、或いは、人類のためにいかなるものをも犠牲にすることを選択しない人々によって、アリバイに使われてしまっている。
 自分たちの欠点を認めること、
 寛容と赦しの精神、こそ
今日、あらゆる人々に必要なのである。

A 正しく、かつ、積極的な行為の結果がどうあろうと、恐れることを拒否するがよい。
現今の多くの反対する態度の背後には、この恐怖がひそんでいる。
 恐怖は真理を殺し、ヴィジョンを隠し、正しい行為を止める。
 現今のキリスト教世紀の偉人なる指導者〔イエス・=訳注〕はわれわれに警告を発しておられる ―肉体を殺す者を恐れるべからず、魂を戮せんと欲する者のみを恐れよ、と。

B ヴィジョンを感得し、〔その実現に・・・補訳〕障害となるものを認め、内在する偏見と恐れとを始末してしまえば、その時こそ、吾何をなすべきかが明かとなる。その何たるやを諸子に告げるのはわたしの役割ではない。その詳細を決めるのは諸子自らの役である。用いるべき方法はおのずから明かとなろう。
 その時こそ諸子は光の軍勢の側に加わり、新世界秩序の開始への準備である世界の平和と安寧とのために戦いつつある人々の手を支えるであろう。そのことを諸子は自我を省(かえりみ)ずに為すであろう。諸子は時間を、自我を、金銭を、必要とあれば生命をも捧げ尽して、圧しく、かつ真摯に世に立ち向かうであろう。
 消極的傍観者の態度は光の軍勢、或いは人類を愛する者の態度ではないことを、痛切に悟るであろう。

 C 諸子はまた自分の心が、常に憎悪に染まらぬようにすることを学び、たとえ惑わされた罪人の罪に罰を課してさえも、彼を憎むことを拒否するであろう。憎悪と分離とはやまねばならぬ。それは、個々の熱願家が自分自身の生活の中でそれを撲滅して初めて、やむであろう。
 中立論者や平和主義者の大きな誤りは、人類の痛みを吾が痛みとする(但し、建設的に)のを拒否することにある。よしんば彼らが、たとえば、幼な児たちや、無防備の難民たちの苦悩に対して烈しく感情的に反応しても、彼らは事態について何らかの手を打つほど真剣に心配しているのではない。なぜならそうするには犠牲が伴うからである。こう言えば辛辣にもひびくであろうが、事実の直言であり、そのような直言が必要とされているのである。何らかの種類の積極的行動を生みださない[単なる]同情は、疼く傷となる。〔即ち、後悔の種子・・・訳注〕となる。





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posted by もっち at 07:09| Comment(0) | 探究日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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